本が読めない
以前にも少しこのブログでその話しに触れましたが
それも極端に読めない!(別に自慢にもなりませんが。。)
ページをめくると創造力のスイッチがピコって入るのか
活字の世界が立体的に映画のように映像や空気感
匂いまでも目の前に現れ
それらが各々勝手に動き出し
恐らくその作者が創造する世界とは
全く無縁な方向へ僕を招いてしまう
それは幼少の頃から続いており
例え誰かが本を読んでくれたとしても
途中からその音すら全く聞こえなくなり
異なるだろう別の世界へと導かれてしてしまう。。。。
(決して眠っている訳ではございません。。)
子供の頃そのことは案外厄介で
本の感想文を求める宿題に、相当苦戦を強いられていました
よって最初と最後のページだけをなんとか読破(笑)して
感想文ってやつをやっつけていた子供でした
(決して手を抜く為に行った訳ではございません)
創造って各々が見る夢の様で
自由で良いのですが
ある題材に自分なりの結論や感想、解釈を求められると
ちょっと苦戦してしまいます
僕にとって映画はどうか?
映画もそのほとんどが本同様に
創造を遥かに超えるストーリー性や映像力でなければ
やっぱり別の場所に導かれてしまう。。。。
それを拒むためなのか
脳?心?の反応としてはコクリと眠りのスイッチが入るわけで
そんなにつまんない訳でもないが
(あっいや、結論的には自分にとってはつまらないのでしょうが。。)
数分の睡魔という無音の世界へ誘い込まれてしまいます
*恐らく僕にとって本や映画という世界は
普段使用している脳を休める為の装置であって
かえって脳が働こうとすると
パチってスイッチを切るように出来ているみたい
そのためコクリっていう感覚があります
まぁそれでも本を読むより映像を見る方が
まだ数段創造力を使わないので
体?脳?を休める行為として選択しています
仕事上、時流も把握しておこうという行為から
映像に関しては見ておくことが多いのですが
ついつい2時間の映画を10分程で
早送りで見たりしてしまう。。。。
ではTVから流れるスポーツのLIVE映像ってどうだろう?
皆さんのほとんどがブラウン管から流れる音と映像を
同時に消化しながら見て感じ、楽しんでおられると思います
しかし僕はボクシングをしていたからなのか
試合が始まると、これまた何かのスイッチが入ったように
全く周囲の音が聞こえ無くなることが多く有るため
よってあえてはじめから音を消して見たりもします
すると選手の息使いや
ピリピリした緊張感
駆け引き。。。。
気が付けば同じ場所に立っている?と感じるほどに
よりのめり込まされます
流石に別世界には行かず
よりリアルな場所へ移動してしまいます
その、無音のような感覚って果たして皆さんに伝わるかな?
子供の頃運動会のかけっこで
必死に走っていると、周囲の音が何も聞こえなくなる経験ってないでしょうか?
あの無邪気な感覚に似ているかも。。。。
スポーツのLIVE映像や本、映画って
僕をあのいつもの無邪気な無音の世界に閉じ込めてしまう
それって集中力なのか?
集中力が無いから本が読めないという方もいるでしょう
でも一体なんなのだろうこの感覚って?感じます
困ったことに実際は全く脳が休めない!
恐らくそれが原因の1つかもしれないが
超不眠症&スーパー肩こり(何の自慢にもなりませんが)
まぁ僕にとっての睡眠は別の機会に描きますが。。。。
今日は見て欲しい映像が有ります。
無音のスイッチが入らなかった
目面しく最後まで見入った映像です
僕にとっては家族同様のコウちゃんに
今朝教えてもらいました。
久しぶりに良いなって無邪気な心で見れた映像です
出来れば、はじめは無音で見て下さい
そして音と創造はその後で。。。。箸休めでした
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コメント
自然が見せてくれる色彩は美しいけれど、その一言では収まらない迫力をもって、私たちに迫るときがあります。
自分の感性の問題なんだろうけど。。。
映像でみる色と自然光でみる色。
無音のスイッチが入らなかったのは、きっと魂が求めてた色がそこにあったからなのでは???
と、思ってみてました。。。
I was really confused, and this anwsreed all my questions.