2010年11月のアーカイブ

今以上の選択

駆足で走り続ける時間の中で
数えきれない街並をいくつも眺めていた
今ではもう遠くに置き忘れた水色の面影を
すれ違うあどけない子供達の笑顔に重ねたりして

嫌いになったらいつでも簡単に
その景色を変えられるんだって
何もかもわかっていたかのような
生意気な裸の王様に
気が付けば納まっていたのか

尊う事さえ出来ずに
今日も新しい痛みを互いの体に押し付け
それらは深い傷となり
明日も見えない果てしなく深い闇の夜空に
孤独という欲望を残しながら
それでもレースは続いて行く

物忘れの神様が人だとしたら
尊く愛し合える喜びも
悲しい過去と所詮は同じ重さで見え隠れするのか?
そのちっぽけな脳裏の中のキャンパスは
いつでも真実の白色に張り替えられるのか?

今より明日に希望を持つには
今という感動的な劇場の中の自らと
キッパリ無かったように決別しなければ
僕らはそれを手には入れられない
自分との争いに勝利しなければ

誰も知る事の無い
向上という名の永続する未来を手に入れるには
優しさや温もりだけじゃ生きられない
綺麗事が美しく有り続けるのも
都合よく物忘れの神様に成り下がろうとするからか

今から別れを告げる
人という刹那の欲望の生き物に
この見慣れた景色に
今以上の尊さを感じる為に

僕らは新しいステージを選択する
それは誰も知る事が出来ない明日への片道の旅

飛び込みませんか?
席はそんなに空いてないけれど。。。。

未完の旅はひとつ
また一つ
完成に近づくよ

日常に花を

何かの記念日に特別な事をするのが苦手
いやへたくそ!

X'mas.... Birthday....St. Valentine's Day....etc

やっぱり1つ1つ思い出に残る事が嫌いなのかな?
幼少のトラウマが今も心に宿しているからなのかな?
誰かに作られた嘘っぱちの人工的な時間なんて信じたくも無い
そう感じて生きて来た

というか
その瞬間そのひと時が実に印象的であり
足下にある1つ1つの小さな感動を
優しく包み込むように両手で拾い上げ
豊かさを肌で感じながら生きて行きたい

毎日を
その時を
大切に
真摯な態度で

今よりも未来
未来よりもその先が
もっと幸せになる
もっと信じられる
もっと感じられる
そんな広さと大きさを体に染み込ませたいね

何でも無い日常に慣れるのではなく
何でも無い日常を感じ合える
そんな関係を創り続けたいね

フラワーデザイナーAndreas Verheijen

何でも無い日にこんなクリエイティブで
素敵な花を届けたいよね

皆さん何でも無い日に
言い訳をして?(笑)
大切なヒトに届けてますか?
その想いを

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今日は少し出来たかな。。。。



あなたがあなたであるために

太陽の光すら諦め
孤独の薬草を貯えながら
退廃の世界に何か前向きな灯りが見つかるのか?

傷つくだけの人生に
さよならする事は、間違った選択なのか
悩み眠れない夜と
あなたがあなたであるために
自分は1人むき出しのソファで過ごす

静かな宵に風の音だけが
孤独という切ない空気を伝えに訪れる
息苦しくなる程の哀れな感覚

粗悪な結末を何度も繰り返して来たから
やがて朝が来る事を知りながら
とにかくそれだけをたよりに今は時間と戦う

ベッドの中のあなたはそれで良いの?

窓から見下ろす街の灯りは徐々に薄れ
所詮自分を小さくするための励ましの景色は
何の役目も果たさない

過去の夢は見たくも無いから
今宵もぎりぎりのコントロールを保つ
そんな小さな気分

果たしてベッドの中の自分はそれで良いの?

あなたがあなたであるために

後ろ姿の鳥かごの少女を
どんな魔法で外へ連れ出そうか

既にYou might not love me anymoreかも知れないのに。。。。。

朝食

おはよう!

さて今朝は何を身体に取り込むか?

朝食はベッドの中で考える
確か冷蔵庫に何と何があって。。。。
1日の始まりのその創造は朝食からなのかも

家族、夫婦、恋人問わず、誰かが自分や誰かのために
キッチンで作業してくれているサウンドに包まれながら
そんな実にcomfortableな環境で目覚めるって良いよね

盛りつけなどプレゼンテーションする側も
当然愛という名のメイクがある訳で
味だけではない空気感をお互い楽しみながら
1日をはじめたい

何気ない日常に、ありがとうって感謝の気持ちを忘れずに
頂きますかな。。。。

さて今日紹介するのは
ニューヨークブルックリンで活動中のオランダ人デザイナー
Marianne Van Ooijのテーブルウェア

ファッションを意識したそのデザインは
飾る事に適したデザインだが
実際どう使い込むのか?何をどう盛りつけるか?
そこにプロダクトがあるからって
後から創造や考えを持ち込むっていうことも
習慣という日常に角度を変えるきっかけにしてくれる
こういう後付けなら許されるかな。。。。

日本の絵皿も同様で
その絵が分かるように(リスペクトするかのように)
後付けでふぐの薄造りって技術やデザインが産まれる
どちらが先なのかワカラナイけれど
何れにせよ主張の強いプロダクトを日常に取り入れる事は
結構勝負だけれど、創造者達には必要な栄養素だね



何気ない日常に感謝してる?
二人には朝食前のKISSはあったかな?

自分には無かったよ。。。。

気付かせの旅へ

2週間で9kg
1ヶ月間で12kg絞った

元々ボクシングをしていたから
絞るのはたいした問題ではない
新しい環境に導かれた時
感覚を研ぎすまさなければ
プロとしてそれは失礼にあたると感じている

では感覚を研ぎすませるには
余分な物を身体から排除し
シンプルで純粋な物を選び
心と身体に取り込む事が最低ライン

創造や思考というのは
まるでスポンジの様で
時よりギュッと絞ってやらなければ
次の要素を吸収しない

創造してみて
蛇口から糸の様な細い水が流れている
その下にまっさらのスポンジを置いてみる
はじめはどんどんその水を吸収するが
たまりきると、今度は蛇口からのそれと同じ太さで
スポンジから漏れ出す
フィルターの役目すらなされず
要は吸収しなくなる
上から下、右から左ってこと。。。。
プロとしてそんな事では失格だよね

ぎゅっと絞ったら色んな物が視えて来る
また、視たいから今度はその環境に
自分を連れ出す

『旅』

気付かせの旅が自分には重要で
フラッとそこら辺りを廻って来る感覚が栄養素

ただのマンホールも美しいディテールだったり
花のディスプレイに目を奪われ
チョコレート屋の演出に感動
日本語圏を脱出したら
コトバに頼らなくなる
よってSilent!
自分自身と感性に向き合える

空っぽのスポンジには感動をいっぱい詰め込んで
それをギュッと絞って次の創作に活かす

気付かせの旅って自分には欠かせない

さて今日紹介するのはオーストラリアの学生
Yunyeen Yong 氏によるパッケージデザイン

カットされたフルーツをモチーフにしたジュースパック
シンプルかつコンセプトが明解で
果物の色や形、味、匂いなどをグラフィックで結びつけ
飲料自体の味を連想させることに成功したと感じた

好ましい食習慣は小さな子供の頃から始めなければならないと考えて
新鮮なフルーツジュースを生産し
小学生や幼稚園児たちに提供する『Jooze』という
架空の会社を想定してデザインしたんだって
子供だけでは無く大人も惹きつけるよね

日本でも『食育』という言葉をがある

何も考えずにとにかく食べるという行為は
お腹は満たされるが、心や感性が貧困だと感じる
決して満たされはしない
『頂きます』
『ご馳走様でした』
なんて素晴らしいサウンドなんだろう
そのテーブルにやわらかな『愛』を感じない?

ここ1、2ヶ月で身体を絞り
食というキーワードを通じて
何が重要か考えるきっかけになった

このデザインのように
瞬時に心に伝わる、伝えるって大切だよね
全く言葉やキャリアなんて必要ないよ

さぁそろそろ心に栄養を与えるために
『気付かせの旅』に出かけよっと!
2010110914301900-

好感度?

膝まつき
片手サイズのジュエリーBOXから
きらりと輝くリングの先に
永遠の愛を誓う彼女の瞳に映るのは
自分の姿であって欲しいと願うのは
男の子であれば誰もが同じで
その時の高鳴るタンバリンの音が
その瞬間からベーシックとなり
それ以上の高鳴りを、2人ともに
星になるまで奏で続けることを
自分自身の神と契約する

彼女はその透明の愛の奇跡の音を
いつまでも胸にときめかせ
燃え続ける熱い炎のベールに身を委ねる(ゆだねる)ことを
自分自身の神と契約する

プロポーズってこんな感じなのかな?

確か2、3歳の頃
後にも先にも1度だけしかない
母が自分を風呂に入れていた小さな記憶だが
その時、彼女から内緒話を聞かされた
母は嘘が大嫌いで
嘘をつく事を生涯しないとかたくなに守った厳格な人だった
にも関わらず?
『実は結婚指輪が無いんだよ』と
彼女曰く、これは嘘をついているのではなく
内緒の話なんだと。。。。
どこに行ったかワカラナイ。。。。
指輪が無い事に落ち込んでいるというより
それを打ち明けられない事の方が辛いように見えた

まあ父親は家に居たり居なかったり
居ても博打(ばくち)麻雀、酒、タバコ、DV狂、大暴れだったから
そんな話しする間も無かったんだろう。。。。
しかしあの指輪は生涯姿を見せなかった
無くしたのか?
そもそも疑問でもあるが

さてそのリングにまつわる話しだけれど
生涯永遠につけられるからシンプルな物を選ぶのかな?
何だかそれって手錠の様な圧迫を感じてしまう
そもそも自分は閉塞恐怖症
かつ、一方でファッションを仕事にしている
毎日同じ物をつけるってストレスじゃないかな。。。。
不潔な感じだし、ファッションとしての
他のアクセ達とのコーディネイトはどうなの?
そもそも自分で選んでないんだから
お仕着せ(おしきせ)っぽく無いのかな?

母がそんなに指輪に執着心が無かったためか
その重要性が正直なところイマイチピンと来なかった
(今日のブログの切り出しと異なり
多分今頃は好感度が、がっつり下がってるよね、きっと)

高鳴り続けるタンバリンを本当に信じるなら
何も記念日という特別な日だけではなく
何でも無い日常を、何かあるマジカルな日常に変えることが重要なんじゃないかな
リングだけははなく、突然の花束や、手紙
おはよう!お休み!ただ今!お帰り!の10秒間のKISS!
疲れてそうだったら、横になりなって言って
夢の世界までマッサージで届けてあげること
料理を作ったり、お皿を洗ったり
つまんない映画も違う角度から見て盛り上がったり
箸が転げるだけで笑顔になれる
そんな水色の頃の心を、永遠に持ち合わせる事が
共同生活において大切なんじゃないかな。。。。

自分は家庭が幸いにも間逆過ぎて
それと異なる事だけをすれば
少しは未来が好きになるかもって信じて
今のところは生きていた
(最近はもう少し自分の生き方で、昇ろうと挑戦している)

話しをリングに戻します。
逆説めいた事が癖のようになってる自分ならではの発想だけど
母のようにリングに執着心が無いけれど
何処かで不安や罪悪感が残るなら
執着出来るようにすれば良いし
失うのなら、失いにくい物にすれば良いと。。。。

そこで本日紹介するプロダクト(久しぶり)は
フランス、パリの宝石デザイナー
Philippe Tournaire (フィリップ・トゥルネー)氏の作品

世界の都市や建物を再現されたデザイン
窓や柱、手すりなどの細かいディティールまで表現されていてる
パリはエッフェル塔がデザインされているし
モスクワのクレムリンがわかり易くて特徴的

確か今月11月にはマイアミの
サックス・フィフス・アヴェニューに出店されるはずなんだけれど。。。。
それを記念してフロリダ州の歴史的建造物
『ヴィラ・ヴィスカヤ』をモチーフにしたリングが発表されるんだよね
オーダーも受けてくれるみたい

プロポーズした街やレストラン
旅に行った思い出の都市
頑張って建てた?購入した?
我が家や思い出の実家など
こんな話し並べられたら、執着してしまうだろうし
酔っぱらってレストランやホテルで忘れても
必ず手元に帰ってきそうなデザイン

どう?あなたも
大切な方へ
好感度上がると思うな。。。。
(元に戻ったかな今日のブログの好感度)

雪解け水

いわゆる夏休みや冬休みという長期休暇になると
必ずや飛騨の古川(小京都で有名な岐阜県の高山の1駅先)
という場所に預けられていた

いつも京都駅から1人で電車に乗せられ
高山で1度ローカル電車に乗り換え
古川へ。。。。

はじめて一人で行ったのは
4歳の冬
40分程度の待ち時間が特に寒く
(京都も寒かったが比べ物にならない)
駅のベンチですら冷凍庫のような感覚
溶けないアイス状態
時間の経過と共に身体が凍えた
そして4歳の自分にはそれらが全て
新鮮と不安でたまらなかった

当時の飛騨地方は降雪量がもの凄く多く
京都のしゃぶしゃぶに湿った黒い雪とは異なり
さらっとパウダースノー
しかしそれらは『ぼた餅』のように塊で降って来る
本当にぼたっぼたって感じで。。。。

大雪の中、雪をかきわける鉄道職員達の足音が
きゅっきゅっと高い音を奏でる
そして無数につけられた行き交う足跡も
次のぼた餅にかき消される

マンハッタンの大雪も
パリのドカ雪も一晩で2階からしか
出入り出来ない程降り積もる
『アレ』にはびっくりだろうな。。。。

庭でカマクラ建築を楽しみ
そこでホットジンジャー(生姜湯)を飲む

風呂の窓を開けると無数の杖の様なつららのカーテン
熱い風呂の湯加減をそれ折り入れて調節

風呂上がりのバスタオルは
2時間もすればカチカチの板状で重たく痛い
よって使い易さを考えると、
身体を吹くにはフェイスやハンドタオルが丁度良い
*その影響で今でも自分はバスタオルを使わない

爆発を避けるため、水道の蛇口からは一晩中
細い糸状の水を流しっぱなし

こたつに直接布団や毛布を掛けて寝る
頭にタオルか帽子をかぶりながら。。。。。

朝は町内中の人が皆で雪かき
そして道を造りながらそれぞれの無事を確かめ合う

そんな極寒の地だったため
部屋はいくつかあったが
生活する場所は1つに集約
光熱費を考えると当然のことだよね

その住人であり自分を可愛がってくれたのは母の姉
彼女は愛人生活をされていて、子供が生涯いなかった
常に一人の生活だったため
自分がそこに現れるのは楽しみにしていてくれた
もの凄く甘やかさせてくれた事もあり
子供の頃の自分には氷の国の楽園だった

ただおじさんの存在以外は。。。。

週に何日か夜食後から夜の帳の前(20時〜11時頃)までは
時よりそのおじさんが現れる
当然その時間はおばさんを独り占めには出来ず
おばさんも彼が来る日はそわそわしていた

彼等は子供の前で1つの布団に入り
偽りの愛を語り、時より甘いKISS楽しんでいた
おじさんからは自分の存在は確実に無視され
声をかけられた事すらほとんど記憶にない
そこに居るのに『おい坊主』すらない
居ないのだ

唯一の癒しの犬『コロ』がその苦しみの
彼等の温かい時間を
別物に変えてくれていた
『コロ』。。。。ごめんね

いつも寝たフリで気を使う子供
お陰で間とか空気を読む、先読みの様な事は
茶道や華道をしなくても、その精神的な部分は磨かれた
いや磨かされた

長生きされたがやがておじさんが死に
おばさんは一人で生きれず
近所に借金を残すだけ残し、施設へ移送された
母がその後、彼女の後始末で追われ
結果彼女とは絶縁となり
自分の兄弟が星に出かけるお知らせを母ではなく
自分の口から一応彼女に電話で連絡した際
残念だという言葉と生活費が欲しい、そして
自分の養子にならないか、あのとき世話をしたじゃないかと言う
唐突のオファーを受けて
母が絶縁した理由が何となく分かった
その瞬間からはおばさんとの甘い思い出は
何時しか雪解け水のように
何処かへ流れ去ったのだろう
このブログを書くまでは、思い出す事は無かった

あの優しかった頃のおばさんは
自分の中では偽りだったのか
母が生きている間は解決しないのだろうか
許すとか認めるとか、無くすとかそんな簡単な問題なのか
ヤニ臭かったあのおじさん
彼にはなりたく無いというのも抵抗なのか。。。。

肌寒く切ない時には
『暖炉のある部屋に住みたい』
兄弟がいつも口にしていた事を思い出す

思いの重さ

夢が現実となりその夢は消え去る
希望が叶いその希望は既に青臭く感じる

人の心にはその都度『思い』という感覚が芽生え
達成感(満足)を得ると
何れそれらは何処か彼方へあっさりと消えて行く
2人の間を通り過ぎる風の様に。。。。

そもそもその思いという『形』ではない
『モノ』自体に物質的根拠の証としての『重さ』ってあるのか?

あると信じる者それはすなわち
魂や心、感覚やイマジネーションという
非物質的とされているモノへのオマージュを
強く持つ人種と見ている

科学的根拠のみを信じるという人種もいるが
自分はその目には見えない感覚や創造をも信じ
創造物の未来の形を見据えながら(創造しながら)
『無』から『有』というモノを常に創り出している

一昨日も1つその創造が現実となった
*手伝って頂いた皆様本当にありがとうございます
皆様の力が1つになり、あの形が誕生致しました
この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございます

話しを戻すが、
いつか失った重さも、
たった今降りて来た創造も
自分達それらを信じている連中からして
その重さはいったい何の重さであって
何グラムなんだろうって?

きっと何の重さの答えは『魂』で
ではそれはいったい何グラムか?
映画『21グラム』のヒントにもなってたけれど
100年ほど前の1907年
マサチューセッツのDr.ダンカン・マクドゥーガルによって
『人間の魂の重さは21グラム』と医学雑誌に掲載され
さまざまな論争を引き起こした事があった

6人の患者と15匹の犬を使って
『死ぬ瞬間の体重の変化』を測定したらしい
人間では体重が減少したが
犬では減少しなかった=犬には魂が無いのだと・・・(呆れる)
これらの報告が発展して
『人間の魂の重さは21グラム』の俗説が広まったが
死の判定時期の問題などから
結果として科学的な信憑性は認められていない

しかし測定方法や犬に対しての冒涜とは別に
魂の重さって実は自分は感じるんだよね

一昨日の創造のお披露目の際に
『思い』というかなりの重さでぶつける仕事が評価され
他人が見せる『思い』という名の素敵な笑顔が心の安定を届けてくれた

それは恋した瞬間のように
いくら木を用意しても足りないくらいに燃え盛る
愛の炎を燃やしている瞬間のあの『思い』の重さ

揺るぎない絶対愛の目で見つめる愛犬の献身的サポート
コトバでは語れない彼等との思い

思いのお陰で
食が通らず眠れない程の夢を見たり
その遥か彼方の夢を現実に変えたり
誰かに伝えたり。。。。

思いって感動なのかな
感動の重さって計り知れないくらい重いと感じるよ


さっ今宵は今から講演会でパネリストとして参加してきます
元気よくその思いをぶつけてこようかな!

誰も知らないやり方で。。。。